【在日】香山リカ「ヘイトスピーチデモの参加者は楽しそうに笑っている。恐ろしい、おぞましい笑顔だ」

1:2016/02/09(火) 02:01:53.16 ID:
毎日新聞
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東京都大田区で3歳の男の子が同居する男性から暴行を受け、死亡する痛ましい事件が起きた。
男性は「しつけ」と称して虐待を繰り返していたという。一部の報道によると、男性は男の子を正座させ
「笑いながらベランダを指さし、『あっち行け。死んでしまえ』と脅した」という。

 もちろん、虐待はそれ自体許されるものでないが、私がとくに気になったのはこの「笑いながら」の部分だ。
幼い子どもに苦痛を与えながら、なぜ笑えるのか。その心理は想像もつかないが、
同じような“笑い”を何度か見たことがある。

 2004年、イラクアブグレイブ刑務所で、捕虜や戦犯となったイラク人兵士に対し
米国人兵士が虐待していたことが発覚した。人間性を陵辱するような拷問を行い、
捕虜たちと写真に納まる米国人兵士の多くは満面の笑みをたたえていた。

 私は大声で在日コリアンなどへの差別や排除を叫びながら公道を練り歩く、いわゆるヘイトスピーチデモへの
抗議活動にときどき出向くが、いつも理解できないのは、デモに参加する人の多くが楽しそうに笑っていることだ。
「差別反対」などと書かれたプラカードを手に抗議する人たちや、不安そうに様子を見ている外国人らしき人たちに
笑顔で手を振るデモ参加者もいる。書くのもはばかられるような差別的な言葉や憎悪の表現を口にしながら、
なぜそこまで晴れやかに笑っていられるのか。その言葉と表情のギャップに、私はいつもめまいがしそうになる。

 虐待、暴力、差別。人間として許されないこういう行為に手を染めるとき、人はどういう表情を作って
よいのかもわからなくなり、思わず笑ってしまうのだろうか。あるいは、人間としての分別も良心も捨てた
行為を自分でも止められず、途方に暮れて「笑うしかない」という境地になるのか。被害者は、
自分が受けている暴力や差別に傷つき、さらに相手の笑顔に傷つく、と二重のダメージを受けることになるのだ。

 いずれにしても、これほど恐ろしくおぞましい笑顔はない。私たちは日ごろ「笑顔は人をハッピーにする」と信じている。
しかし、「人間性をかなぐり捨てた笑顔」があることも忘れてはならない。

 不祥事で記者会見を開く政治家は、いまのところかろうじて笑っていない。もしそういう人たちが
「やりましたよ。ハハハ」と笑顔になったら、と考えると、そのときが社会の終わりと考えてよいかもしれない。(精神科医)
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