堤オーナーに溺愛されて 清原容疑者の“やりたい放題”伝説

1:2016/02/07(日) 07:20:44.30 ID:
堤義明氏(81)がまだ西武鉄道グループの総帥だったころの話だ。
当時、原宿にあったコクド本社の会長室は、政財界の重鎮でも限られた人しか入ったことがなかったという。
まして西武ライオンズの幹部が出入りするケースはまれ。

「会長室に入る幹部がいても、直立不動のままオーナーに怒鳴り散らされ、
『ハイ』か『分かりました』しか言わずに出てくることがほとんどだった」(西武グループ関係者)そうだ。

そんな「奥の院」ともいうべき場所で、ソファにふんぞり返り、あぐらまでかいたといわれる人物がいる。
覚醒剤取締法違反で逮捕された清原和博容疑者(48)のことだ。前出の関係者がこう言った。

「堤さんはとにかく清原をかわいがった。球団ではなく、秘書課を通して清原を直接、原宿本社の会長室に招き入れ、
チーム事情やプロ野球界に関する話を聞いたり、雑談をしたりしたといいます。
例えば清原が自主トレをするときは、オーナーが系列のプリンスホテルを手配したうえで、ホテルの関係者たちに『しっかり守ってやりなさい』と指示する。
球団に対しても『清原をマスコミやスキャンダルから守れ』と厳命していたそうです。
そうやってモミ消した醜聞はひとつやふたつじゃありません。
清原のスキャンダルが週刊誌を賑わせるたびに、グループ内部の社員が怒鳴られるのです」

西武グループの「天皇」といわれた堤オーナーの庇護のもと、清原は酒もたばこもオンナもやりたい放題。
90年オフに当時、史上最年少の23歳で1億円プレーヤーになったのも堤オーナーの意向が大きかった。

その溺愛ぶりはグラウンド外にとどまらない。さる事情通氏によれば「試合での起用に関してもオーナーから注文が付いたことがあった。
打順の問題かそれ以外かは忘れたが、ある試合の起用法が逆鱗に触れた。
試合中だというのにベンチ裏の電話を鳴らし、ものすごいけんまくで首脳陣を怒鳴りつけた」という。

清原はいきおい増長し、首脳陣の言うことにすら耳を傾けなくなっていく。

ある日のデーゲームでは酒の臭いをプンプンさせながら球場入り。
首脳陣がとがめても、「僕は寝なくても大丈夫なんです」と開き直った。

チャンスに併殺打で凡退した直後なのに、相手の選手とニヤニヤしながら談笑。
見るに見かねて注意したコーチを逆に睨みつけたこともある。技術的な指摘に対しても、フンという態度を取ることが多かった。

ただでさえ清原にモノを言う首脳陣は少ないうえ、清原自身がこういう態度だから、
自分は何をやっても許されるという態度や言動は、いよいよエスカレートすることになる。

「同学年の選手はもちろん、特に年上の連中は次第に清原のもとから離れていき、面倒を見なくなった。
清原を戒める人たちは少なくなり、球場の外で一緒に食事をしたり、酒を飲んだりするのは、
わがまま、やりたい放題の許される年下の選手がほとんどでした」(当時を知るマスコミ関係者)

清原の転落は、プロ入り直後の西武時代からすでに始まっていたのだ

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2016年2月7日


堤オーナー(右)には西武入団当時からかわいがられた/(C)日刊ゲンダイ
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